《激辛・初心者お断り》
ここは、99年夏頃から開拓して走り始めたコースです。
高槻市の上ノ口バス停のさらに奥、原立石バス停から脇道に入っていくところからスタートします。
Yahooの地図では
このあたり
※但しこの地図では登山道は途中トレイルになるあたりから記載されていません。
スタート地点。といってもここまで走って来るのだが。
本格的山道の始まりというところ。
案内板。この8.3km往復は侮れない。
神峯山寺・本山寺を経由して(本山寺は省略可能)、ポンポン山頂を目指す。
本来はハイキングコースなので、歩いていけばどうということはないが、
走るのは…かなり大変。
神峯山寺参道に入る。ここからが急坂。
神峯山寺の解説を市教委がこさえた案内板から引用すると…
神峯山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。
寺伝によれば、役の行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。
当時は仏教の聖地として、比叡山や葛城山と並ぶ7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1300石に及んだ。
皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。
秀頼も講堂を造営したと伝えられる。
しかし、江戸時代中期の明和2年(1756)に火災で焼失し、安永6年(1777)に再建された。
現在は、宝塔院(本坊)と寂定院、龍光院の3院となっている。
本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、寄木造りで平安時代後期、
また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、
国の重要文化財に指定されている。
境内には、本堂のほか開山堂や観音堂、光仁天皇の分骨を納めた十三重塔、
開成皇子の埋髪塔という五重塔、九頭龍滝などがある。また当寺は、
新西国観音霊場の第14番札所であり、紅葉の美しさでも広く知られている。【引用終】
ちなみに、境内には水飲み場(浄手用だが)とお手洗いがある。
神峯山寺と本山寺の間が坂としてはもっともきついかも知れない。途中から舗装がなくなり、砂利道となる。
左の写真のところで、道が分かれているので、本山寺に寄るなら左へ、パスするなら右の山道に入ろう。
本山寺の説明について、また案内板から引用。
本山寺は、北山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、
役の行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。
戦国時代には、三好長慶や高山飛騨守・右近父子らが寺領安堵状を出すなど、寺運は栄えた。
天正年間(1580頃)に兵火で焼失したが、豊臣秀頼が慶長8年(1603)に再建、現在の中の門は、
その際に伏見桃山城から移築されたと伝えられる。
江戸時代に入ると、高槻城主永井氏や皇室などの崇敬も厚く、宝永年間(1704頃)には、
徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が大改修を行い、現在に至っている。
当寺の聖観音立像(像高60.4cm)と毘沙門天立像(像高152.0cm)
はいずれも平安時代後期の作とみられ、昭和25年8月に国の重要文化財に指定されている。
また安堵状や禁制等11通を2巻にした本山寺文書は、戦国時代や近世初頭の歴史を伝える重要な資料として、
昭和49年3月に市の有形文化財に指定された。
このほか、足利8代将軍義政が愛用したと伝えられる葡萄日月硯などがある。【引用終】
なお、ここにも水飲み場とお手洗い、公衆電話がある。
ここから山頂までは本当に何もないので、夏場の給水などは要注意。
また、極端に少雨が続くと水が枯れているときがあるので注意。
本堂右横から登山ルートが再開。
本山寺経由ルートと通過ルートは、左の写真のところで合流する。
下ってきたときは、左側の道に行くと本山寺通過、右側の階段を降りる方は本山寺経由となる。
木立の中を駆け抜ける。さすがに下界より涼しい感じがする。
多少アップダウンはあるが、神峯山寺〜本山寺間よりはまし。
ただし足元は木の根や浮石がごろごろしているので転倒には要注意。
また、雨が降った後数日はぬかるんでいるので十分注意。
やっと頂上に着きました。ご苦労様です。ポンポン山の解説も引用しておきます。
この山は正しくは加茂勢山といいますが、標高679メートルの頂上に近づくにつれて足音が
ポンポンとひびくことから通称ポンポン山と呼ばれています。京都市の西端にあたりますが
このすぐ東の地域は善峰寺・三鈷寺・光明寺などの古刹寺が多く、平安中期以来、
仏教の地としても重要な位置を占めています。【引用終】
そう、この山頂は高槻側だけでなく、京都側からもつながっている。降りる方向としては、
高槻・上ノ口方面(このコース)、高槻・出灰方面、京都・善峰寺方面の3通りある。
山頂から京都方面(左)と高槻方面(右)を望む。だいぶ霞んでいる。
山頂から北方向を望む。丹波山系が見える。