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ポンポン山登山コース(太閤道・川久保渓谷ルート)



《辛口・中、上級者向け》



ポンポン山に南東方向からアプローチするルートを紹介します。
JR高槻駅北東方向、市営バス磐手橋バス停付近からスタート。



すぐに、「金竜寺跡」の案内があるので右手へ曲がる。 この先も、要所要所の分岐点では「金竜寺跡」の案内がある方向へ行けばよい。

 

工場の敷地に入るようにも見えるが、ここで車道から左に入る。 奥の方から山道がスタートする。「太閤道」と紹介されている。


金竜寺跡付近。ここから先は「若山神社」という案内をたどっていく。
ここで高槻市教育委員会による金竜寺の解説を引用しておきます。

金龍寺は、ここより北北東約2kmの地にあり、(※注:案内看板自体は、バス停近くの二段上の画像付近に設置されている) 邂逅山(たまさかやま)紫雲院と号して天台宗に属し、普賢菩薩を本尊としたが、昭和58年、 心ないハイカーの火の不始末により焼失した。
寺伝によれば、延暦9年(790)、のちの参議阿部朝臣兄雄が創建し、安満寺と称した。一時衰退したが、 康保元年(964)、千観が入って再建、金龍寺に改称したという。
千観は、延喜18年(918)に生まれ、園城寺で天台密教を修行。内供に選ばれて、 宮中での仏事に携わるなど栄達の道を歩んでいた。
しかし、市聖として民衆に慕われていた空也上人と出会ってのち、仏法の民衆化を志して金龍寺に入山。日想観 (落日のかなたに西方極楽浄土を想う信仰)に適したこの地で、阿弥陀経を七・五調に和訳した「極楽国弥陀和讃」 をつくり、浄土信仰の広がりに大きな役割を果たした。
その後、天正年間に高山氏の兵火で焼失。慶長年間に豊臣氏の加護で再建され、江戸時代には、千観や能因法師ゆかりの地、 桜や松茸狩りの名所として親しまれた。
明治時代以降は、本堂の移転や無住化による荒廃、火災などによって当時の隆盛は偲び難く、現在では、 今も残る石垣や礎石に往事を想うばかりである。(引用終)



山道が終わり、突如舗装路に出てくるので、若山神社の案内どおり右へ。



ゴルフ場に突き当たる。ここでは、左の「川久保」の方向へ進む。
やがてゴルフクラブ正面玄関と駐車場に出てくるが、そのまま突っ切って車道を進む。



車道をしばらく行き、急な上りのあたりで、右側にクラブハウスが見えてゴルフ場につながっているゲートがある。 このクラブハウスには、うれしいことに冷水機が置いてあるので、 ゴルファーの邪魔をしないように気を付けたうえで冷たい水をいただこう。



ゴルフクラブのゲートを出ると、しばらくして採石場の横を通る。だだっ広くてわかりにくいが、 とにかく車道を直進。ダンプカーが通っているので注意が必要。
そのうち、この画像のところでT字路に突きあたるので、右折。



しばらく車道を進む。途中、「本山寺」方向の案内があり、そこからポンポン山へも行けるのだが、 そこでは曲がらずに進み、この画像のところで左折。自動販売機あり。「ポンポン山」の案内が出ている。
 



途中、尾根道経由でポンポン山と渓谷経由でポンポン山という分岐があるが、 そのまま渓谷の方を進む。



川沿いの快適な道が続く。夏は心もち涼しい感じがする。 また途中で本山寺経由ポンポン山の案内があるが、気にせず直進。
 



ポンポン山(最短)の案内がある場所で、左折。小川を渡る。



しばらく進むと、小川のすぐ横、というよりも沢登りに近いような状態になる。
そしてここに湧き水ポイントがある。夏でも冷たくておいしい。もちろん飲める。

 
川がなくなって程なくのところにこの案内が出ている。
ポンポン山は右方向となっていて、もちろんこれでも行けるのだが、やや遠回りになるので、 急斜面ではあるが右側画像のところを直登することができる。




直登してくるとこの場所に出てくる。ポンポン山頂上はすぐ近くだ。




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